2023.10.12 取材
(所属、役職は取材当時)

- 原子力機構で働く人 -

佐藤 優樹(廃炉環境国際共同研究センター)

「色々な分野の技術や人が繋がった先に、新しい技術が生まれると思うんです」穏やかな笑顔で力強く語る佐藤さん。最先端の技術を使って、目に見えない放射能汚染を「可視化」する研究開発を進めています。異分野の技術や人を積極的に受け入れて、これまでにない技術をアクティブに生み出す一方で、普段の佐藤さんは…。オンとオフの両面から佐藤さんを可視化します。



どんな研究開発をされているのか教えてください
原子力機構に入所して以来、「放射線の可視化」をテーマとして研究開発に取り組んできました。その中で、放射能汚染の分布を3次元マップで見える化するシステム「iRIS(integrated Radiation Imaging System; アイリス)」を開発しました。具体的には、放射能汚染を2次元的に可視化するコンプトンカメラに、レーザースキャナや写真立体復元といった3次元モデリング技術、およびドローンや地上走行ロボット等を統合することで「iRIS」は生まれました。このシステムは福島第一原子力発電所の作業員の被ばく低減や作業計画の立案への活用を目的としており、福島復興に貢献できることへの強い想いを胸に開発に取り組んでいます。この開発には、多くの企業や大学の皆様にご協力いただきました。iRISを構成する要素の一つ一つが多くの研究者・技術者によって実現されたものですので、この場を借りて敬意を表したいと思います。新しい技術が生まれる時って1つの分野では収まり切れないことが多く、他分野の技術や人のアイディアが混ざり合うことに重要な要素があると私は考えています。
研究開発を行う上で、旬なキーワードはありますか?
「メディアアート」です。メディアアートは、コンピュータや電子機器などの新しいテクノロジーを利用するアートのことで、自分が伝えたいことをデジタル技術を使って表現します。一昔前までは物質ありきのアート表現が主流でした。でも、今は物質に縛られることなく、デジタル技術を使って自分が伝えたいことを表現できる、この表現の拡張こそが現代の強みだと思っています。私が研究を行っている放射線の「可視化」技術も、見えないものを見える化して表現し、誰かに伝えるという意味ではアートと共通しているように思います。最先端の技術を活用して、いかに放射線を「可視化」するか、表現方法を探っていきたいですね。
原子力機構に入所する前から「放射線の可視化」開発に取り組んでいたのですか。
いいえ。ポスドクの頃は加速器のビームラインに導入するための重イオンビーム測定器の開発を行っていました。実は1つのことを続けるのは苦手で、飽きてしまうんです。だから、その時その時で自分が本当にやりたいことを選択し、取り組むようにしています。テーマは違ったとしても、共通して使える技術は案外多いですし、研究に対する考え方や姿勢自体は昔から変わっていないと思っています。
大学生の頃の佐藤さんを教えてください。
研究も遊びもどちらも思いっきり取り組みましたので、大変充実した大学生活を過ごすことができました。博士課程の時は京都に住んでいましたが、日中は研究に打ち込み、夜は馴染のシャンパンバーに行って一日の疲れを発散するという、お決まりのサイクルを過ごしていました。シャンパンバーは頻繁に通っていたので、店員さんとは顔なじみになり、その影響でカクテル作りに興味を持ちました。カクテルって奥が深くて、作る人によって見た目も味も全然違ってきます。これまでにない、自分オリジナルのカクテルを作ることに夢中になっていました。
子どもの頃、勉強は好きでしたか。
残念ながら、勉強全般嫌いでした(きっぱり)。小学生の頃は国語が嫌いでした。作者の気持ちを答えて下さいという問いがあった時に、「これは僕が作った文章じゃないから分かりません」と答えて、先生に怒られた記憶があります。英語も苦手で、大学院で博士論文を書く時には、指導教官から「お互い不幸になるから日本語で書こう」と言われたことがあります。そんな私も今では国際会議で発表できるまで英語が上達した…はず?です。
昔から勉強よりも、美術や図工などのアート系が好きでした。自分が描くというよりは、絵画鑑賞の方が好きで、今でも美術館や博物館によく行きます。どのような背景で、どのような思いをもって何を伝えたかったのか、一種の謎解きのような感覚で楽しんでいます。大人になり、“作者の気持ち”を想像することで、もっとその作品が楽しめることに気付いたのかもしれません。
人生の転換時期があったら教えてください
高等専門学校(高専)の時です。電気工学科に通っていたのですが、当時高専から大学に行く道はないと勝手に思っていました。一方で漠然と研究者になりたいという気持ちはあったのですが、どんな方法があるか分からず悩んでいるうちに勉強が疎かになってしまい、部活(バドミントン)やカラオケ、ゲームに注力していました。そんな時、担任の先生に呼び出され、大学進学を含む進路の色々な選択肢を教えてもらったのですが、その瞬間人生が一気に広がった気がします。それがなかったら、今私は原子力機構で研究開発を行っていないと思うので、自分の可能性に気づいたまさにこの時が、人生の転換期だったと思います。当時、進路指導をしてくれた先生方に感謝しかないです。
もし研究者になっていなかったら、何になっていたと思いますか?
たぶん会社員にはなれなかったと思います。自然が好きなので、そういった仕事に就いていたかな。例えば樹木医とか…山の散策が好きなので、自然と関わる道を選んでいたと思います。
自然が好きなんですね?
はい。私は北海道の旭川で生まれて育ちました。自然の豊かな環境が当たり前のように身近にあったので、やはり自然の中にいると安心します。今はいわき市に住んでいて、暖かい季節にはいわきの磯に行ってヤドカリや魚を観察したりしています。生き物って興味深いですよね。北海道の実家では金魚を飼っていますが、かれこれ15年くらい生きているので、皆さんが想像している金魚より遥かに大きいサイズに成長しました。


今何に興味がありますか?
ガーデニングや家庭菜園に興味があり、始めてから10年くらい経ちます。自宅の庭でゴーヤ、かぼちゃ、すいか、トマトなど色々な野菜を育てています。ハロウィンには家庭菜園で取れたかぼちゃを使って、子どもと一緒にランタンを作りました。おまけで、くりぬいた中身でかぼちゃのパウンドケーキを作ったのですが、なかなか美味しくて子供たちにも好評でした。イベントでは子供に食べてもらうためによくお菓子を作ります。プリン、シフォンケーキ、チーズケーキあたりは作ったことがあります。
好きな言葉を教えてください
「Reality ahead of schedule」。工業デザイナー・ビジュアルフューチャリストであるシド・ミードが、【アイディアは「Reality ahead of schedule」(予定を先取りした現実)である】という言葉を残しています。この言葉がとても好きです。今自分が現実で提案したアイディアが、これからの予定(未来)をつくっていく、つまり今、ふと思いついたアイディアからすべてが始まっていくという感じがして、わくわくしませんか?
最後に皆さんに一言お願いします
自分のやりたいことに向かって、1つの道に突き進むことも良いと思います。一方で、自分の選択肢を早々に絞らないで、好きなことを手広く楽しむという選択肢があってもいいと思います。色々な経験を積んだからこそ、繋がる縁もありますので、可能性を広く持つことも大事にしてみてください。
皆さんと連携して新しい技術を開発できるのを楽しみにしています。

ありがとうございました

関連リンク

令和6年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 若手科学者賞を受賞!
https://www.jaea.go.jp/news/newsbox/2024/041901/

廃炉現場の汚染分布を3次元マップで“見える化”
―見えない汚染を仮想空間で把握し、作業員の被ばくを低減―
https://www.jaea.go.jp/02/press2021/p21051403/

ARとVRで情報をつなぐ(知財インフォグラフィックス)
https://youtu.be/R-7Ih7tpFro/

放射線分布の3次元表示方法及び装置
https://jopss.jaea.go.jp/search/servlet/search?P50880l

情報処理方法、情報処理装置、及び、情報処理システム
https://jopss.jaea.go.jp/search/servlet/search?P53320

2022年度受賞報告
https://tenkai.jaea.go.jp/innovationplus/news/news-2/

researchmap
https://researchmap.jp/yuki-sato