2023.8.8 取材
(所属、役職は取材当時)

- 原子力機構で働く人 -

阿部 雄太(高速炉サイクル研究開発センター)

「研究者の形は人それぞれでいい。私は、研究者であると同時に、チームメンバーの個性や技術が最大限発揮できるための演出家のような存在でありたい」と強く言い切った阿部さん。現在はレーザー、X線、中性子及び超音波等を利用した計測系の開発や常陽の再稼働に向けた作業を行いながら、チームメンバーのマネジメントにも注力しています。明るい笑顔があふれる職場に込められた阿部さんの想いを、紐解いていきます。

まずは、阿部さんご自身がどんな研究者なのか教えてください
研究者のインタビューに出ておきながら、こんなことを言ってよいのか分かりませんが、自分には研究者や技術者としてのセンスはあまり無いと思っています。研究者に必要なものって、目の前の答えを疑う才能だと思うのですが、私は答えが分かってしまうと、それ以上深堀りするのが苦手なんです。じゃあ、何が得意かって聞かれると、「物事や現象の概要をつかむこと」と「誰とでも親しくコミュニケーションを取れること」には自信があります。だから、自分の得意を活かして、技術のコーディネート業務もできる研究者を目指しています。
技術のコーディネータ業務とは具体的に何をするのですか?
原子力機構の技術をさらに発展させるにはどうすればいいか…と考えた時、やはり自分のところにはない技術やノウハウを持った他の機関と連携することで、研究が大きく拡がる可能性があります。たとえ同業他社でライバル企業であっても、両社の得意分野を組み合わせることで、思いがけない技術が生まれる可能性もあります。私はその可能性をできるだけ大事にして、上手く繋げていきたいと考えています。まずはいろいろな文献を読んで調査するところから始め、技術がマッチするところを見つけながら、双方のニーズが満たされる提案をしていく、そういったコーディネータ活動にやりがいを感じます。先ほどお話したとおり、技術の概要を短時間で掴むことが得意ですし、初めてお会いする人と躊躇なくコミュニケーションを取ることも好きですので、自分にとってコーディネータ業務は天職だと思っています。
小さいころから、物怖じせず積極的に人に話しかけられる性格でしたか?
逆に小さいころは人見知りで、積極的に目立ちたいタイプではありませんでした。一方で、夢は大きく持っていて、子どもながらに野心家でしたね。
どんな夢をお持ちだったのか教えてください
世界一の山を作りたいと思っていました。幼稚園の頃に書いた絵の中では、富士山の隣にさらに大きい山を作り上げていました。山ではありませんが、世の中にない大きなものを誇りをもって作り上げたいという野望は今でも持ち続けています。自分が生きていたという証を後世に残したいと思っています。でも、ある意味、原子力機構でのナトリウム開発においては半分夢が叶ったようなもので、世界一の誇りをもって実験を続けています。


今後大型のナトリウム機器開発試験が予定されている実験施設(AtheNa)の前で。

小さいころの得意科目を教えてください
得意科目は社会でした。その中でも歴史は幼稚園の頃から好きです。私が今勤務している大洗研究所は実際に遺跡が出土しているし、近くには大串貝塚もありますので、歴史愛好家にはたまらない場所です。歴史は非常に奥深いもので、過去の知見から非常に多くのことを学ぶことができます。たくさんの人たちが積み上げてきた英知の結晶の上に、私たちが新たな英知を重ねることで、イノベーションは生まれていくものだと思っています。
逆に苦手科目は?
英語と家庭科でしょうか…。中学時代の私は、ドラえもんのほんにゃくコンニャクなるものが大人になる頃には出来ているだろうと信じて、英語の勉強から逃げていました。結果、当然といえば当然ですが、英語が苦手になっていました。そういえば、算数や理科もあまり好きではなかった気がします。
理系科目が好きではないのに理系に進まれたのですか?
自分の得意を活かせる分野に進む、これがきっと一般的なんでしょうね。実際、私の周りの人たちもそういった理由で進路を選んだ人が多かったと思います。でも、私の考えは少し違っていて…嫌いだからこそ見える世界に価値があるのでは?と考えています。例えば同じ事象でも、その分野を得意な人が見る視点と苦手な人が見る視点って異なると思うんです。得意な人からは見えない世界、つまり苦手な人だからこそ見える世界に、未開発の何かがあると期待できませんか?「嫌いだからこそ、やることに価値を見出す」この考え方が私の根本にあります。ちなみに数式嫌いの私が大学で物理学を専攻したのも、この考え方によるものです。
そうなると原子力機構に就職を決めた理由は…
いえ、嫌いとかそういうのではなく、純粋に原子力機構に興味があったからです。大学で物理学を専攻した時、兵庫県播磨のSpring-8でプルシアンブルー錯体の構造が熱や光、圧力等によりどのように変化するのかといった研究を行っていました。原子力機構にはSpring-8やJ-PARC等、量子ビームを取り扱う施設があったので、身近に感じ、就職を希望しました。あとは真面目な話になりますが、日本のエネルギー問題に関わる研究がしたいという思いもありました。
ところで、阿部さんはどんな学生時代を過ごされていましたか?
大学では劇団を作りました。ただ、自分が役者に向いていないのはすぐ分かったので、その中で演出家、つまりプロデュースする側に方向転換しました。舞台に出演する人たちの技能、個性や人間模様などいろいろな要素を考えながら、舞台で気持ちよく演じてもらえるよう調整することに注力しました。
演出家としての才能はその頃開花したのですね。
現在の職場で、研究者兼演出家としての評判はいかがですか?
どうなんでしょう。気になるので、ちょっとチームメンバーに聞いてみたいです。
(突然ですがチームメンバーさんへ質問ですーその①)
阿部さんってどんな方ですか?
一言でいうなら、「異質」です。他の研究者とは一味も二味も違います。こんな研究者に出会ったことがありません。
(突然ですがチームメンバーさんへ質問ですーその②)
どう異質なのですか?詳しく教えてください
研究者は研究一筋で、業績を上げることに励むものだと思っていました。でも、阿部さんはいい意味で研究者らしくなく、バックグラウンドも多様ですし、どうしたら働きやすい職場を作れるか、どうしたらチームメンバーの能力を有効に発揮できるかといった将来プランまで一緒に考えてくれます。とても頼りになる方だと思っています。奥さんのお話をすると、デレッデレになるのも阿部さんの特長ですね。


阿部さんとチームメンバー。明るい笑顔があふれていました。

じゃあ、そんな阿部さんが今後何を目指しているのか教えてください
そうですね。20代、30代の頃は私もとんがっていて、とにかく一番になりたいという想いを強く持っていましたが、最近ではその情熱もだいぶ丸くなりました。今後は、自分を悠々と超えていってくれるような研究者・技術者を育てることに注力したいと考えています。私自身若いころ、良い上司に恵まれていたので、自分が教わったことを一緒に働く皆さんに返していくのも重要な仕事だと思っています。将来プランを一緒に考えたり、技術が途切れないように技術継承を考えたりと、研究が発展継続していくための一番良い形を、チームメンバーで作り上げていきたいですね。
最後に皆さんに一言お願いします
会社に入って、一人でできることには限りが有り、学生時代の友人も含め、自分が信頼できる人とのつながりが重要だと感じています。そのような信頼できる人とつながり続けるために、日々研鑽できる環境を目指して成長できたらと考えていますので、本記事をきっかけに新たな輪が広がれば嬉しいです!

ありがとうございました

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